【10】できて当たり前が叶わなくなった時

四葉ストーリー

「できて当たり前」が、続くわけがない。
上には上がいる。
相手がいることは、そうはいかない。

優等生が当たり前になる怖さ

間に別の記事が入りましたが、

記事【9】の続きです。

【7】「優等生意識」を持ったきっかけ
【8】「勉強できる」が、唯一の承認欲求を満たすこと
【9】優等生ぶってると、叩かれる。いい気になるな。
【10】「できて当たり前」が叶わなくなった時。←本記事

ここまでお伝えしてきたような流れがあって、
子どもの頃の私は、次のように思ってきました。

自分は優等生。
勉強できて当たり前。
先生に評価されて当たり前。
そこに、ひそかにプライドを持ちつつ、あまりいい気になると叩かれるから、
目立たないように気をつけよう。

でも、
「優等生が当たり前」
「できて当たり前」になってしまう事は、
やっぱり、大変危険なことなのです。

なぜなら…

それが「叶わなくなる時」が、
必ず来るから。

そして、そのダメージで、
なかなか 立ち直れなくなる人もいるからです。

以下に、よくある大きなケースについて、
カウンセリングでよく見るケースと、
私自身のケースで、ご紹介しますね。

進学先で知る「上には上がいる」。

カウンセリングの場でよくあるケースは、
以下のようなものです。

小学生までは優等生だった。
中学生までは優等生だった。

だけど、優秀な中学や高校に進学したら、
上には上がいた。

それまで、常に学年で
トップクラスの感覚でいたのに、
進学先では学年で真ん中とか、
あるいは下のほうになってしまう。
勉強についていくのも精いっぱい。

そんな環境に初めて入って、
これまで築いてきた自信や自尊心が、
ガラガラと崩れてしまうケース
です。

それで、体調を崩したり、不登校になったり、
自傷行為に走るようになって、
カウンセリングにお越しになるケース
を、
私は たくさん見てきました。

こんなことになってしまったのは、
自分の価値を、
周りとの「比較」や「優劣」、
学年順位などの「評価」で、
確認してきたから、
なんですね。

これは、本人のせいだけでなく、
親とか学校とか周りのせいでもあります。

その子を「そういう部分」で評価してきたからです。

たとえ褒めるにしても、成績が良いからOK、
学年順位や偏差値が高いからOK、
そうでないとダメ。
そんな認め方をしてきたからです。

「基準や条件を満たしていれば、認める」。

これを「条件付き承認」と言いますが、
このような認め方は、次のようになりがちなのです。

「その条件を満たしている自分はOK。
その条件を満たしていない自分はダメ。価値がない。」

条件付き承認は、
例えほめるような形でも、
使い方を
気をつけなくてはいけない、
諸刃の剣のようなもの
なのです。

相手がいる事は、そうはいかない。

次は、私自身のケースです。

私は幸い、小学校から大学までは、
大きな挫折を味わわず、
なんとか保ってくることができました。

私が最初に、「できて当たり前」が叶わず挫折を覚えたのは、
教員採用試験に不合格となった時です。
しかも2度落ちて、2年間 就職浪人をしました。

3度目の挑戦で、ようやく小学校教諭になることができたのですが、
私が、本当の意味で
「挫折」を覚えたのは、この後
だったのです。

私はずっと、
「私ならきっと、いい先生になれる」
「私ならきっと、いい母親になれる」

そう信じてきました。

大学で教育学をしっかり学んだし、
自らたくさんの教育書も読んだし、
やる気もあるし、情熱もあるし、塾講師のバイトもした。

「私ならきっと、良い先生、良い親になれる」
「これまでも、努力すれば叶わない事はなかった」

そう信じて疑わなかったんですよね。

だけど私は、自分が思い描く理想の先生にも、
理想の親にも、なることが出来ませんでした。

なぜなら、
教育の仕事も、子育ても、
「相手がいること」だから
です。

過去と他人はコントロールできない、と
よく言われますが、まさにそう。

いくらこちらの気合いが入っていようが、
いくらこちらが情熱や努力を傾けようが、
相手がどう受け取るか、相手にどう響くかは、
コントロールできない。

相手には相手の、
事情や 気持ちや 能力や
ペースや タイミングがある。

それを、こちらが無理やり
コントロールすることは出来ない。

それが、私は全然わかっていなかった
んですよね…。

「相手がいること」なのに、
自分の思い通りに、教育やしつけが出来る。
それができて当たり前。

・・・そんな事、ありえないですよね。

恥ずかしながら、
それが本当に腹落ちしたのは、
40歳を過ぎてからでした。

この辺りのことは、私の子育てや人生での、
とても大きなテーマだったので、
後日また、詳しく書きますね。

常に何でも、「できて当たり前」な訳がない。

周りと比較して、自分はできて当たり前とか、
自分は頑張っているんだから、
できて当たり前とか、
そんなの、常に通用する訳がありません。

「比較」で自分を認めるとか、
「結果ありき」で自分を認めるとかしていると、
いつか破綻する時が来ます。

比較するなら、周囲との比較ではなく、
過去の自分など「自分自身」と比較する。

「結果ありき」ではなく、結果を目指しつつ、
結果を完全にコントロールすることは出来ないと自覚する。
特に「相手がある」ことについては。

私は、自分の経験を通して、
そのようなことを 強く学びました。

以上、4回に渡りましたが、
「小4からの優等生意識」シリーズは、ひとまず終わりです。

【7】「優等生意識」を持ったきっかけ
【8】「勉強できる」が、唯一の承認欲求を満たすこと
【9】優等生ぶってると、叩かれる。いい気になるな。
【10】「できて当たり前」が叶わなくなった時。←本記事

次回は、もうちょっと楽しい話(笑)の、
「演劇にはまった」ことを書きたいと思います。

↓次回記事はこちら
【11】演劇にどハマり!将来は役者に!

 

 

四葉さわこ

四葉さわこ

公認心理師。愛着トラウマが専門。カウンセリングルーム「アイバランス」代表。

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