実家からの通学生活
1992年、私は、
地元の国立大学教育学部に入学しました。
小学校教諭と、中学&高校の国語教諭の資格がとれる所です。
大学1年の時は、実家から大学まで、電車通学で通っていました。
高校の時からやっていた
「ロッテリア」のバイトを、
大学近くの店舗に異動して継続しました。
また、「塾講師」のバイトも同時にはじめました。
教員を目指しているし、塾講師の時給は高いし、
それがベストな選択と疑っていませんでした。
大学の学費は、申請が通り、
授業料が半額免除となりました。
奨学金は、全額を親に渡し、
学費と交通費の足しにしてもらいました。
この形で、十分 大学4年間を過ごせるものと思っていました。
▼大学の入学式。
私は、当時はやっていた「ソバージュ」頭をしています。
サークルはもちろん「演劇研究会」に。
サークルは、
当時「劇研(げきけん)」と呼ばれていた
「演劇研究会」に入りました。
▼どうして「もちろん」なのか、参照記事はこちら
ちなみに私は、
この劇研に入部するのが、中学からの夢でした。
教育学部に入るよりも、
「劇研に入れる」ことの方が、
ずっと楽しみだったかもしれません。
実は私は、中学生の時から「劇研」の存在を知っていて、
その公演も、何度も観に行っていました。
茨城県の高校演劇や劇団に詳しい人なら、
関 勝一さんを ご存知かも知れません。
勝一さんは、私より6歳先輩で、
水戸芸術館で毎年公演している
「劇団OH-NENS」の座長さんです。
脚本、演出、役者の全てを、
現役の高校教師をしながら、こなされています。
また、茨城の高校演劇のトップ
(茨城高等学校演劇連盟事務局長)
も務めていた、ものすごい大御所の方なんです。
なんと、映画『幕が上がる』では、
ももいろクローバーZと共演までしています。
▼高校演劇をテーマにした、 2015年公開の青春映画。
高校演劇に関心がある方には、オススメ
そんな、才能も情熱もある勝一さんが、
ちょうど私が中学生の時、
現役大学生として、「劇研」で活躍していたんですね。
そんな勝一さんが率いる
「劇研の芝居」は、中学生の私にとって、
ものすごく斬新で、イキイキしていて、
憧れの存在でした。
だから、そんな憧れの「劇研」に入れたことは、
私にとって、ものすごい喜びだったのです。
学業、バイト、通学時間でいっぱいいっぱい。
ですが、この
学業・バイト・劇研のサークル活動を、
同時進行でこなすことは、困難を極めました。
そもそも教育学部は、
小中高の教員免許を取るために、
結構な単位を取得しなくてはいけません。
大学の授業も、1年次から結構なボリュームがあって、大変でした。
一方で、バイトの時間も、ある程度確保しなくてはいけません。
塾講師のバイトは、時給が良くていいと思っていましたが、
それはあくまで、「授業をやっている時の」時給が高いだけで、
その授業を行うためには、事前の準備が必要になります。
その準備にかかる時間を考えたら、決して割のいいバイトではありませんでした。
ロッテリアと塾講師で、結構忙しかったです。
▼ロッテリアでバイトしていた頃(大学1年)
また、一番ネックだったのが、電車やバスの最終時間でした。
大学1年の時は、実家から電車&バス通学をしていたので、
実家にちゃんと「帰宅できるように」と考えると、
バイトにしても、サークルにしても、
最終バスや 終電に間に合う範囲でないと、活動できないのです。
▼茨城県といえば、の常磐線
演劇を思う存分やりたいのに。
一番困ったのは、一番やりたかった
「劇研」の活動を、
思う存分できないことでした。
バイトや帰宅時間があるために、
サークル活動を 時々休んだり、
早退したりするしかないのです。
そのため、お芝居の「主要な役」を
希望することが出来ませんでした。
時々休んだりしても支障がない、
脇役や裏方を希望するしかありませんでした。
(脇役や裏方も、もちろん大切なんですけどね!)
大好きで、自信も持っている、演劇活動。
中学生の頃から憧れていた、劇研での活動。
それなのに、思う存分 活動することができない・・・。
そのフラストレーションが、
どんどん溜まっていきました。
・・・次回の記事
▼四葉ストーリーの「大学時代」記事
【16】大学2年。仕送りは一切いらないから。
【17】2番めの彼氏。初めての愛される喜び。
【18】普通のバイトじゃ間に合わない。
【19】努力にも限界が。無理は後でツケが来る。
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