演劇の夢を否定される
前回の記事で書いたように、
私は演劇にどハマりして、
将来は役者になりたいと思っていました。
![](https://ikuji-balance.com/wp-content/uploads/2021/05/import/blog_import_60ab5cad95ff8.jpg)
2020.09.19
【11】演劇にどハマり!将来は役者に!
愛読書はガラスの仮面! 中学時代は、ミュージカルも。 演劇にハマった青春時代。 子どもの頃の夢。ハマったもの。 皆さ...
このことを母親に伝えたところ、
「悪いけど、お前にそんな才能は ないよ。」
「そんなので食っていける訳ないだろう。」
と、バッサリ否定されてしまいました。
そりゃあ、演劇とか役者を目指すとか言ったら、
難色は示されるだろうと、当時の私も予想していました。
でも、「才能」まで否定されるなんて…。
当時の私には、やはり、とてもショックでした。
学校の先生になって、演劇に携わろう
そして、当時の私は考えました。
確かに、役者とか女優を目指して「食っていける」のは、一握りの人間だろう。
どんなに大好きな演劇でも、食っていけない(それで生活していけない)のは、私もイヤだ。
でも、演劇も あきらめたくない。
・・・そうだ。学校の先生になろう。
学校の先生になって、「演劇部の顧問」という形で、演劇に携わっていこう。それなら、食っていける。
・・・これが、私が教員を目指すことにした、最初のきっかけだったのです。
有名進学校に行きたかったのに
学校の先生を目指すなら、
大学は教育学部に行く必要があります。
そして そのためには、高校は進学校に行きたい。
以前の記事で書いたように、
私にとっては、「勉強できる」ということが
ある意味「アイデンティティー」、
そして「承認欲求を満たすもの」でした。
![](https://ikuji-balance.com/wp-content/uploads/2021/01/d5c964b3de9b324b6a7dcbab8adc1106-e1622535071756.jpg)
2020.09.06
【8】「勉強できる」が、唯一の承認欲求を満たすこと。
誰だって、誰かに認めてもらいたい。 私の場合はそれが、「勉強」「優等生」だっただけ。 誰だって、承認欲求がある。 前回の記事【7】...
だから高校も、
「勉強できる女子が行く、有名所の進学校」
に行きたかったんですよね。
当時の近隣だったら、水戸二校とか土浦二校とかが、
それに当たりました。
自分の成績的には、
充分選べる高校だったと思います。
ですが、これも親に反対されました。
理由は、電車通学になるからです。
実は、私が中学1年生の時、
地元に新しい県立高校ができました。
中学よりも近く、自宅から自転車で15分位の場所です。
そのため、この高校ができた時から、
母にはずっと、言われていました。
「うちはお金がないんだから、あの高校に行きなさい。
いいじゃないの。近くて新しくて、制服も可愛いんだから。」
その高校は、当時は珍しい普通科4コース(体育、人文、国際、理数)
の学校で、偏差値もそれぞれ異なり、国際とか理数のコースを選べば、
まあ、それなりの偏差値が必要、という高校でした。
私の進路先の候補として、
親に言われなくても、
十分選択肢には入ってくる高校でした。
だけど、中学1年生の頃から
他の選択肢を全く与えられず、
「お金がないから、お前は あそこに行くしかない」。
そう言われ続けた事は…
やっぱり、納得がいきませんでした。
結局私は、この地元の県立高校に進学しました。
結果的に、そこの高校生活は
それなりに充実していたので、
行って良かったとは思っています。
だけど、進学先を選ぶプロセスとして、
自分の希望を、一切聞いてもらえなかった。
(これは「話を聴く」も含め。)
選択肢を、最初から与えてもらえなかった。
これに対するモヤモヤは、
ずっと消えませんでした。
親の事情。母の事情。
親がそのように押し付けてきたのには、
やっぱり、親には親の事情があります。
まず現実に、生活が苦しかった。
父は新しい勤務先で
一生懸命働いていましたが、
正直給料は少ないところだったそうです。
そのため、母は当時、新聞配達などもして、
家計を支えていました。
そして、私の後には、3人の妹がいるわけです。
教育費を少しでも抑えたい。
それが切実だったのは、私にもわかります。
それから、また世代間連鎖のような話になりますが、母は中卒なんですよね。
![](https://ikuji-balance.com/wp-content/uploads/2011/05/29929e116543f1a1d49c8a7ae88d7d68-e1622534916310.jpg)
2020.09.13
ほめ苦手ママの克服法【1】~世代間連鎖と私のケース~
ほめるのが苦手、できないのは、 そうなる理由があるから。 克服法が分かっていれば、 ちゃんと変えることができる。 ほめるのが...
母の実家も生活が苦しく、
5人兄妹の末っ子だった母には、
それこそ、進路を選ぶ自由などなかったそうです。
母の時代でも、クラスの3分の2は高校に進学したと言います。
だけど母は、最初から
そのような選択肢を もらえなかった。
就職先も、本人の希望は一切聞いてもらえず、
親が決めた場所だったといいます。
そんな母からしたら、
「高校に行かせてもらえるだけ、いいじゃないか。
しかもその高校は、近くて新しい高校なんだし、それで充分じゃないか。」
そういう感覚だったのかも知れません。
貧乏はイヤだ。夢も進路も選べない。
でも、私はこの経験で つくづく思いました。
貧乏はイヤだ。
どんなに成績が良くても、
貧乏だと、
好きな進路を選ぶこともできない。
好きな道(演劇)をめざすこともできない。
お金の心配がなく、
好きな進路や習い事ができる
同級生がうらやましい。恨めしい。
私は絶対、
将来はちゃんと食っていける、
お金では苦労しない職業を選ぼう。
だから、学校の先生を目指そう。
中学時代の話は、ここまでです。
次回から、高校時代に入りますね。
→次回の記事はこちら【13】「青春の高校時代」
→今回の話の続編となる記事もあります。【14】必死にもぎ取った大学進学
▼ちなみに、下は 高校入学時の写真。
(2番目妹が中学入学、3・4番目が小学校入学と、4人全員の入学が重なりました。
だから、実際両親は大変だったのだと、当時も今も、頭では理解しています。)
コメント