昨夜、実母から電話が来た。
私が、先日ついウッカリ、反抗期の息子に対する愚痴を、母に話してしまったからだ。

私たち家族の中で、母の心配性は有名なところだ。
下手なことを話すと、母は 自分のことのように悩み、考えをふくらまし、そうして、時には(余計な?)提案やアドバイスをしてくることもある。

案の定、母は そのことで電話をしてきた。

「なんか、いろいろ考えちゃって。」
「○○(息子の名前)のことも心配だけど、そうやって悩んでいる、お前のことが心配で。」

…昔は、そんな母が お節介で鬱陶しくて、イヤだった。
「介入するな」と思っていた。

でも、今は、見方が違う。

これは、介入、お節介という形の「愛情なんだ」と思えるようになってきた。

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カウンセリングや 人間関係の悩みを聞く時に、私がよく伝える言葉がある。

・「区別」が大切。

・「距離感」が大切。

他人(子どもや家族も含め)のことを、まるで自分のことのように考えない。
過去と他人は変えられない。
自分も相手も、別の人間として尊重することが大切だ。
自分の期待を相手に押し付けない。
相手の期待に応えなくてはいけないと思いこまない。…などなど。

今でも、このことは とても重要だと思っている。

人間関係で悩んでいる人、ストレスを抱えている人たちは、だいたい、この「区別」のところで課題を抱えていることが ほとんどだから。

・・・だけど。

・まるで、自分のことのように感じてしまう。

・自分がいたたまれないから、もしかしたら、お節介や介入に取られるかも知れない行動をとる。

これらと、「優しさ」「助け」の違いが、明確に説明できるものだろうか。

 

 

最近あった、常総市での大雨被害。
4年前にあった、東日本大震災の時も思った。

ニュース報道を見て、「自分のことのように」感じて、
「いたたまれない気持ちになって」、知人に連絡を取ったり、支援やボランティアに行かれた人たちが、たくさんいる。

あるいは、自分たちは被害にあっていないのに、不安や心配な気持ち、焦燥感でいっぱいになってしまい、自分の日常生活や仕事に、一時的だが支障が出てしまった方もいた。私も、実際そのような方の相談に、複数のった。

「区別」や「距離感」という観点でみたら、前者と後者の違いなんて、実はちょっとしたもの、表裏一体なのではないだろうか。

だけれど、
その「自分のことのように」感じることが、
現実に、被災して困っている人たちへの、支援なり 共感なり サポートという形 になっているのなら。
実際に、被災者を助け、サポートに、お役に立てているのなら。
それは、一概に否定できないではないか。

「相手は果たしてどう思うか」「相手はそれを望んでいるのか」という、相手を思いやる視点は失いたくないと思うけれど、
もしかしたらそれすらも、「結果的に相手の助けとなっている」のなら、不要なケースさえ、あり得るのかも知れない。

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・優しさ と お節介。

・愛情 と 介入。

・自己満足か、「相手のために」か。

 

そんなの、紙一重なのかも知れない。

だけど、少なくとも今の私は、

母のお節介を、愛情と受け取れる私でありたい。