母とのこと。【1】

じぶん理解

母とのこと。【1】

先週末に、母とのことで大きな変化があった、という報告をしました。
「鏡の法則」の実践を、何とかすることができたのです。
遅れましたが、何回かに分けて、その母とのことを報告したいと思います。

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私にとって、許せない人=母でした。

詳しいことは書きませんが、

  • 自分の好きなことや得意、行きたい進路を認めてもらえなかった。
  • 褒めてもらった記憶がない。
  • 父のこと、経済的に余裕がないことについて、
    いつも愚痴や文句ばかり言っている母の姿がイヤだった。
  • 母の怒りやマイナス感情を、いつもぶつけられるのがつらかった。

…などがあります。

私は4人姉妹の長女ですが、母が、妹たちにも同じような
(進路を自由に決めさせないなどの)様子だったのが、本当に許せませんでした。

「お金がない。」「それで十分。」を理由に、本人たちの希望や選択肢を奪ってしまう。
そのことに、いつも怒りを感じていました。
妹たちはすっかり諦めている様子でしたが、
私はどうしても許すことができず、母とは年中、喧嘩をしていました。

父に対しても、今はありませんが子供の頃は、憎憎しい気持ちを抱いていました。
母が、家計に余裕がないことを、よく父のせいにしていたからです。

母には、父の悪口や愚痴をよく吹きこまれました。
「そうか。私が好きなものを買ってもらえないのも、進路を選べないのも、
父のせいなのか!」
そう信じてしまったのです。

でも大人になった私は、そんな母の姿勢の方が、おかしいと気が付くようになりました。
そして、父へのマイナス感情を植え付けられたことに対して、
逆に、母を恨むように
なりました。

「私は、母のようにはなるまい。母は反面教師だ。
私が母親になったら、旦那の悪口を子供たちに言ったり、感情的に怒ったり、
子供たちの思いを無視したり、そんなことは絶対にしない!

理想的な母親になる。理想的な育児、家庭をつくりあげる。
それが、私には出来るはずだ!」
・・・そう信じるようになりました。

教員としての知識や経験、育児書の類もたくさん読んだことで、
それが出来るような気がしていた
のです。

ところが。
現実は全く違いました。

私は、理想的な母親も、育児の実践も、できなかったのです。

頭では分かっているのに。
そして、母のようになるまいと、あんなに決めていたのに!

子供が思い通りに動いてくれないと
(寝てくれない。泣き止まない。ご飯を食べない。言う事をきかないなど。)
感情的になって、怒鳴ったり、手を挙げたりすることもありました。
なだめてもすかしても言う事をきかない子供たちが、許せなくなりました。

「――私が子供の頃は、これくらいの事は、(親の)いう事をきいてきた!」

忘れているのかも知れないけれど、
私は、進路のことなど、どうしても譲れない部分は反発したけれど、
日常生活の中で言うことをきける部分は、なるべくその通りきいてきた。
・・・そんな思いが、多分私の中に、あるような気がします。

そんな自分に、
理想と現実とのギャップに、本当に苦しくなりました。

「頭では分かっているのに、できない!
あんなにイヤだった感情的な母親に、私が、なっている!」

罪悪感や自己嫌悪感で悩むことが続きました。
教職の仕事をしながら、ワーキングマザーとして育児していた頃は、
特に、ストレスが強まりました。
毎日毎日が時間に追われて、
子供たちをゆっくりと見る心の余裕が、全くありませんでした。

それで、ちょっとしたことで、声を荒げる私がいました。
・・・私は、何をやっているんだ。

理想の母親どころか、あんなにイヤだった、
自分の母と同じようなことをしているじゃないか。
こんなにストレスを抱えて、イライラして、疲れていて・・・。

私は、仕事をとるのか、家庭をとるのか。
他人の子供たちをとるのか、自分の子供たちをとるのか。

答えはもちろん、「自分の子供たちをとる」でした。
私はやっぱり、理想的な母親になりたかったのです。

そして、教員を辞めることにしました。

【2】につづく

 

四葉さわこ

四葉さわこ

公認心理師。愛着トラウマが専門。カウンセリングルーム「アイバランス」代表。

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