承認。ありのままの自分を認める。(その2)の続きです。

私は、一番大切だと思う「存在承認」について、子供時代、
母親からあまり承認してもらえなかった・・・ と思っている部分がある。
(だから、アダルトチルドレンなのである。(^^))

でも、これはあくまで私サイドからの見方。
本当は、いろいろな愛・存在承認を、与えてくれていたんだと思う。
だってその証拠に、私が無事に、こうやって育っているのだから。
そのことは、母たちが、ちゃんと私たちを育ててくれた証拠だと思う。

ちなみに、
今 私は、母に対して、恨む気持ちは全然持っていない。
詳しいことは過去記事のこちらへ

母も完全ではないこと。
母も大変だったこと。
母も、自分の親(私から見たら祖父母)たちに、
恐らく、存在承認があまりもらえなかったのだろうという事実。
(母から聞いた話と、最近学んだ知識から、やっとそんな因果関係を知ることになりました。)

そんなことが、ようやく理解できるようになったから。

 

――でも、

「許せない」という気持ちを手放すことと、
「自分を認めてもらいたかった。」という不満足感を手放すことは、
イコールではない
のだ。

少なくとも、子供だった私には、とてもショックだったり、傷ついたり、戸惑ってしまった出来事があった。
それが、大きなしこりになっているのは事実。

 

・・・あぁ、書きづらい。

こう書いてきたら、その例をあげなくちゃ、読者の人たちには
事情が分かりづらいと思う。
でもそのことが、まるで、母を非難したり自分を正当化したり
しているようで、何とも 心苦しい。
ためらう気持ちと、胸のつかえで、何とも苦しくなる。

・・・改めて、私の中でこれが、大きな位置を占めていて、また、消化し切れていないんだな、ということを実感する。

でも、うん。 書いちゃおう。

 

簡単に言っちゃえば、

・私は、母親に褒めてもらった記憶がない。

・容姿について、自信を失うようなことを、たまに言われた。

・髪の毛を切りたくなかったのに、どんなに頼んでも許してくれなかった。
 似合わないショートカットにさせられた。

・はっきり言って、妹の方が可愛いと言われた。

・頑張った学業、学校からの評価も、「いい子ブリッコ」という言葉で表現されてしまった。

・「演劇」・・・大好きだった、得意に思っていた、夢中で取り組んでいた・・・
 について、将来役者になりたいと言った時、「はっきり言うけど、あんたにその才能はないよ。」と否定されてしまった。

・・・ごめんなさい。
書いていると、やっぱり感情的になってしまう。

私、泣きながら書いているんですよ、コレ。

それ位、やっぱり、子供だった私には、ひどいことだった。
心から傷ついた。
自分の存在や能力を、真っ向から否定されたように感じてしまった。

34歳になった今でもなお、私の中に、傷ついたインナーチャイルドが住んでいて、「ひどいよ。」「悲しいよ。」と声を上げている。

 

でも、涙を流すことは「浄化」になるし、
こうやって表に出し、表現することは、きっと「消化」を促す ことと思う。

 

・・・そんな訳なのです。

 

しつこいようだけど、もう、母を恨んでいませんよ。
前に書いた通りです。
母にも、子供時代に負わされた傷があった。
自己肯定感が低かった。
私たちを育てている時、生活が苦しかった。
夫婦関係その他で、いろいろなストレスや悩みがあった。

・・・私の中の「大人」(インナーアダルト)は、ちゃんとそれを理解している。

 

自分の中のインナーアダルトを育てて、
自分の中のインナーチャイルドを、癒します。

「つらかったんだね。」「くやしかったね。」「傷ついたよね。」って。

 

自分で、自分を承認することができる。
自己肯定感を強めることもできる。

そして、私の子供たちに、これ以上 同じことを繰り返さないように。

つい怒鳴ったり、
手をあげたり、
ちゃんとしていない子供たちを、許せなかったりする時があるけど、

子供たちの「存在」(いのち、身体、能力、性別、生まれ持った個性・・・)
だけは、決して、否定しない。

それだけは、今ここで、心から誓おう。

どんなに怒っている時も、
存在だけは、否定しない。

存在は承認しつつ、「叱る」。「接する」。

 

最近の私が達した、大きな気付きです。

・・・以上、承認3回シリーズ、おしまい! (笑)

 

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