7月6日、私の誕生日だった。

今年で年女の私。

さすがに この歳になると、それなりに落ち着きも出てきて、
処世術も覚えてきたけれど。
若い頃と比べて、顔に明らかに”老け”を感じ、
体力の衰えも感じて、
(大げさ? (^^;))
「もう、若くはないよなぁ。」なんて、実感しているこの頃だった。

だから誕生日だからと、プレゼントを買ってもらう訳でもないし、
そんな子供みたいに はしゃぐことも
喜ぶことも、なかったのだった。

ただ、仕事柄、「存在を認めるとは?」とか、
「無条件の愛とは?」 とか、そんなことは よく考えていて。
その関連で、”誕生日”を考えていた。

存在を認める。
無条件に認める。

それって、

「生まれてくれた。生きてくれている。ただそれだけで嬉しい。」

と 感じることなんだよなぁ・・・と。

自分の誕生日は、自分がこの世に誕生した日で、
子供の誕生日は、子供がこの世に誕生した日で、

その感動とか、感謝の念とか、尊さとか。
そんなことを、この日(誕生日)に味わえたらいいんだろうなぁ。
それが出来たらいいんだろうなぁ・・・。

なんて、
頭でばかり、そんなことを考えていたのでした。

 

そんな訳で、
そんな小難しいことを 時折考えながら、いつも通り仕事や家事をこなし。

そうして夜、パソコンを開いたら、たくさんの人から
「バースデーメッセージ」のメールが届いていた。

そういえば、
母や妹からも、携帯にメッセージが来ていたっけ。

わぁ。

私の誕生日を覚えていてくれたんだ。
誕生日だからと、わざわざメッセージを送ってくれたんだ。

なんだか、恥ずかしいような、こそばゆいような、そんな感覚を覚えた。

・・・これも、「存在承認」だよなぁ。
私の存在を、覚えていてくれた、ってことだもの。

悪い気はしない。

やっぱり嬉しいよね。

 

そうして、夜、夫が帰ってきて。

ケーキの話なんて一切していなかったのに、

私のお気に入りの洋菓子屋さんで、ちゃんとケーキを買ってきてくれた。

前日(日曜日)に、子どもたちとケーキ作りをして、
「これが、ママのお祝いケーキね。」なんて言っていたから、
もうそれで、終わったものだと思っていたのになぁ。

「それはそれでしょう。今日が誕生日だから。」

そう言って、少ない小遣いで買ってきてくれたダンナ。

何だか、妙に まぶしく見えて、嬉しかった。

「覚えていてくれる。」

「気に掛けてくれる。」

それだけで、十分なのかも知れない。

「無条件の愛」とか、「存在承認」とか、そんなことを理屈で考えると、
すごく大きくて、難しいことのような気がするけれど。

大袈裟なことじゃなくって、

こんな、さり気ない、ちょっとしたことで、もうそれで十分なんだ。

それでもう、無条件に存在を認めてくれている、
「存在承認」なんだ。
「愛」なんだ。

当たり前のように流れているけれど、実は、とても有り難いもの。

「存在承認」って、もしかしたら、そんなものなんだなぁ。

・・・なんて、夜になって、初めて「感じた」のでした。

 

私の存在を、覚えてくれていた人たち。

思い出してくれた人たち。

ありがとう。

誕生日の有り難さ、おかげで味わうことができました。

当たり前のようで、当たり前じゃない。

そんなことを、もうちょっと味わって感謝できる私に・・・

なりたいです。