【7】「優等生意識」を持ったきっかけ

四葉ストーリー

優等生というセルフイメージ

こちらの記事で、
「私は可愛くない」というセルフイメージを持っていた、
ということを書きました。
そしてその記事の最後で、
私はもう一つ、別のセルフイメージを持つようになったと書きました。

それが、今日から書く内容、
「優等生意識」です。

ちなみにこの内容、
結構ボリュームのある、私にとって大きなテーマなんですね。
そこで、書きたい内容を改めて整理した結果、
このテーマは、4回に分けて書くことに決めました。

それが以下の内容です。
(以下は、記事の仮タイトルです)

【7】「優等生意識」を持ったきっかけ←本記事
【8】「勉強できる」が、唯一の承認欲求を満たすこと。
【9】優等生ぶってると、叩かれる。いい気になるな。
【10】「できて当たり前」が叶わなくなった時。

4つのタイトルを見て、なんとなく伝わるかもしれませんが、
優等生というセルフイメージは、
私に、いろいろと複雑なものを与えました。

・自信、優越感
・人間関係の難しさや怖さ
・恥の感覚
・子育てでの過ちや苦しみ

子育てでの葛藤については、
四葉ストーリーの後半でまた詳しく書きますが、
ここではまず、
私がそのようなセルフイメージを持つことになったきっかけから、
書きたいと思います。

▼小学4年生のわたし

「優等生意識」を持つようになったきっかけ

私が優等生意識を持つようになったきっかけは、次の3つです。

◆小4~小6の担任の先生に、そのように扱われたこと。
◆学校の成績が良かったこと。
◆学級委員に選ばれるようになったこと。

「私は先生に認められているんだ」

改めて思い返すと、
私も小学3年生までは、
そのような意識は、全く持っていませんでした

そのような意識が芽生えたのは、小学4年生の時からです。
小4の担任だったT先生。
小5〜小6と担任だったK先生。

ありがたいことに、2人の先生は、
「私のことを評価してくれてるんだな」
ということが、とてもよく伝わってきました。

授業で発表した後のコメント。
ちょっとした時に、あるいは学校行事などで、
学年代表や児童代表として、自分が指名されたり、立候補を勧められたりすること。
やっぱりそれは、子供なりに、誇らしかったし、嬉しかったです。


ただ、これは後の記事に書きますが、
そのように、先生に評価されたり扱われたりしていることが、
同級生たちに、「四葉はひいきされている」と、
軽くいじめられるきっかけにもなりました。

T先生のことも、K先生のことも、
私は嫌いじゃなかったし、感謝もしていますが、
複雑な気持ちをもっているのが正直なところです。

学校の成績が良かったこと

私は、純粋に勉強が好きでした。
学校の成績もよかったです。

学年で1番とか、それほどズバ抜けた成績ではありませんでしたが、
とりあえず、後に、国立の教育大学に行ける位の成績をとっていました。

子どもにとっては、
学校というのは生活の大部分ですし、
テストとか通知表とか、
そういう目に見える形のもので、日常的に評価されると、
やっぱり、そこから受ける影響は大きいですよね。


そして、
自分が大人となり親の立場となって、学ばされたことがあります。

うちの子どもたちは、どちらかというと、
「学校の勉強が苦手」だし、
「自分から進んでやるタイプではない」んですよね。

このことを、
私は本当の意味で理解することがなかなか出来ず、
しばらく許せない思い
を持っていました。
だけど、いろいろな葛藤や衝突の時間を経て、今は思います。

こんなのは、
その子によって違うんだ。

人によって、
好きも嫌いも、得意も苦手も、
違いがあるだけ
なんだ。
ただの個性なんだ。

いいとか、悪いとか、
そういう風に決めつけるものじゃないんだ。
今は、心から思うのです。

だから、私がたまたま、
学校の勉強が好きだったこと、
得意と思えていた事は、
本当に恵まれていたことだったと、今は思います。

そして私は、「親が言わなくても勉強をする子」だったので、
私の親も、私に「勉強しろ」などと、
私の勉強意欲をそぐような事は、一切しませんでした。
これも、私にとっては、相乗効果で恵まれていたと思います。

逆に、親となった私は愚かなことに、
子どもたちに「勉強しろ」とか「宿題をやれ」などとしつこく迫ってしまい、
ただでさえ苦手な勉強を、
ますます嫌いにさせてしまう
という、愚かな過ちも犯しました。
(詳しくは、また後日の記事で。)

このことは、自分がしてきた子育ての中で、
私が一番、後悔していることです。

学級委員に選ばれていたこと

上のような経緯があって、
私が小学5~6年生の頃には、
すっかり「優等生意識」や、
長女気質からくる「しっかりしなくちゃ意識」が強くなっていました。

そして、そんな雰囲気が周りにも伝わっていたのか、
学級委員にもよく推薦されていました。

クラス投票で、自分に投票が集まる様子を見て、
「私は、同級生からも認められているんだ」
「私は、しっかりしていると思われているんだ」
「みんなの期待に応えられるよう、頑張らなくちゃ」
と、当時の私はものすごく真面目に、まっすぐに、
それを受け取っていた
ことを思い出します。

こうして私は、
小学4年生から6年生の間に、
「私は優等生」というセルフイメージを、
すっかり固めていったのでした。

次回は、【8】「勉強できる」が、唯一の承認欲求を満たすこと。
について書きますね。

ぜひまた 読みに来てください。

【7】「優等生意識」を持ったきっかけ←本記事
【8】「勉強できる」が、唯一の承認欲求を満たすこと。
【9】優等生ぶってると、叩かれる。いい気になるな。
【10】「できて当たり前」が叶わなくなった時。

 

四葉さわこ

四葉さわこ

公認心理師。愛着トラウマが専門。カウンセリングルーム「アイバランス」代表。

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