おじいちゃんに見た「無私の愛」
最近、「自己愛」と「無私の愛」について考える。
自分を認め、受け入れ、自己肯定感を持つことは大切だと信じてきた。
でも、バッチフラワーの祖、バッチ博士は「自己愛」は病の元だと言う。
多分、彼の言う「自己愛」は、”自己中心” ”自分勝手” ”自分さえ良ければ”
というものを指しているのだろう。
私は、自分を認め、大切にすることを強調してきたけれど、
「自分勝手」や「自己中心」に転じる危険性もある。
その違い、バランス・・・。
先日、子供たちを連れて、実家に帰った。
おじいちゃんは、本当に、孫たちの面倒をよく見てくれる。
この日は、いとこを含めて、総勢5人の孫たちが来ていたけれど、
誰もが「おじいちゃん」「おじいちゃん」と、父を慕っていた。
いつも、孫たちを抱っこしてあげ、遊んでくれる。
この日も、プールや公園など、孫たちが喜ぶところに連れて行ってくれ、
息子にはクワガタ、他の子たちにはシャボン玉や花火など、
喜ぶものを買ってくれていた。
「いつも悪いから、買ってくれなくていいよ。」 私は言うのだけれど、
本当に、孫の喜ぶ顔が嬉しいらしい。
いつも笑顔で、元気があり余っている子供たちの攻撃を
やや年老いた身体なのに、受け止めている・・・。
孫たちが帰った後は、さぞかし疲れるだろうに。
まさに、「無私の愛」だなと思った。
おじいちゃんが求めている見返りは、多分、「孫が喜んでいる姿」、
ただそれを見ることだけ。
おじいちゃんを見ていて、つくづく普段の自分を反省した。
私は、自分の忙しいとか大変とか、自分の都合しか考えていない。
おじいちゃんは純粋に、孫たちが喜ぶことを考え、孫たちが一番喜ぶ、
「遊んであげる」「構ってあげる」という愛を与えているのに。
そういえば、ちびまる子ちゃんに出てくる、おじいちゃん。
あれも、理想的な「丸ごと受け止めてくれる」おじいちゃんだと思う。
どんな時でも無条件に、孫を受け止め、心を満たしてくれる存在・・・。
「丸ごと認めてもらうと、やっぱり優しくなれる」 という記事でも書いたけれど、
子供だろうが大人だろうが、人を癒し、情緒を安定させてくれるものって、
そういうものだよね。
私は、子育てママに・・・とか 言っているくせに、
れっきとした、2児のママでもあるのに、
そんな、「無私の愛」を与えることが、できているだろうか。
忙しさを理由に、ただの「自己愛」に陥ってないか。
愛って、なんだろう。
でも、全ての結論は、やっぱり「愛」に行き着くんだと思う。
仕事の成功も、環境問題も、子育て支援はもちろん・・・。
おじいちゃんは、言葉ではなく態度で、まざまざと私に、
「無私の愛」「与える愛」を教えてくれた。
愛とI。中学生だった時に、英語のIが私であることと、日本語の愛が同じに思えたこと・・・思い出しました。
おじいちゃんがお孫さんたちに与える愛。無私の愛。本当にすばらしいですよね。
親はといえば、日々の雑事に追われ、でも、そうやっていても、子どもと向き合い、自分のエゴにもひきずられつつ、やっぱり子どもを愛しているんだと思います。このバランス、いつも考えていないと大変なことになりますよね。(笑)
愛・・・それを一番大切に思う心。自分も大切。子どもも大切。だからこそ、やさしくなれるよう、私も、ガンバリマス。ステキなお話をありがとう!ございます。
>親はといえば、日々の雑事に追われ、でも、そうやっていても、子どもと向き合い、自分のエゴにもひきずられつつ、やっぱり子どもを愛しているんだと思います。このバランス、いつも考えていないと大変なことになりますよね。(笑)
うんうん、おっしゃって下さったこと、すごく良く分かる気がします。ホント、バランスですよね・・・。
自分も含め、全てのものに「愛」をベースに取り組むことができれば、きっと大きな間違いはないんだと思います。
でも、「言うは易し行うは難し」。
ああ~ 日々、勉強ですわ~。(笑)