母のこと。【1】からの続きです。

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私は教員を辞めました。
でも、専業主婦という道は選びませんでした。

理由は3つ。

  • 1つ。専業主婦は、私の性に合っていないこと。(育児休暇中に、とことん実感しました。(^^;))
  • 2つ。住宅ローンも抱えているため、ダンナの収入だけではやっていけないこと。
  • 3つ。実現したい夢があったこと。

 

私の実現したい夢。

それは、自分の子供時代の経験、学校現場での経験、そして自分が母親になった経験から感じていた、以下のような思い・・・。

「子供たちにとって、親のあり方は一番大きい。それは事実だ。
でも、子育てをがんばっている親たちを、ただ責めるのは間違っている。
私は、親たちを責めるのでなく、親たちを癒し、サポートする仕事がしたい。
それが結局は、子供たちのためになるはずだ。」

・・・そんな思いを、何とか上手くまとめて、ビジネスとして体系化する。
そして、そういう活動を通して、自分自身の育児も見直していきたい。
それから、私は教職と家庭の両立は上手くできなかったけれど、そのビジネスを、両立ができるような仕事形態にすれば、それも可能になるのではないか。

 

・・・そんな夢を持ったのです。

そのような訳で、私は教職を辞め、自分の夢を実現する(起業する)準備をしながら、家事や育児をすることになりました。

「教員をやっていた頃に比べれば、時間的にも肉体的にも、ずっと余裕ができたはず。
今度こそ、理想的な家事・育児を実現しよう。
フルタイムの、あんなに大変な仕事を辞めたんだ。 きっと出来るはず。」

そう、私は考えていました。

 

ところが。

現実は、ろくに出来なかったんです。
(今もです・・・。)

家の中も、庭も、掃除も料理も整理整頓も、本当はきちんとしたい。整えたい。 理想はしっかり頭にあるのに。

“起業”なんて企んでいるからでしょうが、どうひいき目に見ても、家事・育児がきちんと出来ている状態ではありませんでした。

毎日、
家の中を掃除すること。
洗濯すること。
夕食のメニューを考えること。
料理。
毎日毎日の、子供たちの世話。
家計のやりくり。
・・・

私の母が、私が子供の頃、当たり前のようにやっていた事
それが、今の私にはちっとも、当たり前のように出来ていないんです。

教職に就いている時は、言い訳もできました。
でも、今はそうでない。

 

ああ。

 

「専業主婦やパート主婦なら、きちんとやって当たり前。」
自分の母親のことも含め、そう思ってきた数々のことが、いかに面倒なことだったか、当たり前のことではなかったか・・・。
そんなことに、ようやく 気が付いてきたのです。

そしてそんな頃、「鏡の法則」や、野口さんのセルフコーチング・プログラムに出会いました。

改めて、母が私にやってくれていたことを、思い出し始めました。

母は、上に書いたような日常の家事・子育てを、しっかりとやってくれていました。
父との事、家計のことなどで、確かに愚痴はよく言っていましたが、そういうストレスや苦労がある中でも、とにかく、家庭生活をまわしてくれていました。

私は、専業主婦やパート主婦だった母が、そうやって 家のことをやってくれているのは、当然だと思っていたんです。

母が、炊事洗濯その他もろもろをやってくれていたこと。
それから、厳しい家計の中でも、きちんとお小遣いをくれていたこと。
家計のきりもりをしていたこと。
みんな、当然だと思っていました。

 

「そんなの、主婦なんだから、母親なんだから、当たり前じゃない。」

 

・・・今、自分が母親になって実感しています。
ちっとも、当たり前のことじゃなかったんだ、って。

 

家計や父のことでストレスを抱えつつも、毎日毎日、とにかく家族のために働いてくれていた母。
私が、ろくに手伝いもしないで、自分の部屋にこもり、日記を書いたり受験勉強したりできたのも、母が黙って、毎日の生活を支えてくれていたからだ。

父だって そうだ。

母に、愚痴や文句を言われながらも、とにかく仕事を続けて、私たち4人姉妹全員、高校を卒業させてくれた。
私や2番目の妹に至っては、大学や短大にまで行かせてくれた。
(奨学金や授業料免除は受けたものの。)

ちっともそれは、当然のことじゃなかったのに。
父も、母も、どんなに大変で、どんなに苦労したことでしょう。

(本当に、大変だったんでしょう。
だから、あんなに愚痴を言ったり、大学進学を反対したりしたんでしょう。
家族旅行にも 行けなかったんでしょう。)

私はそういう事たちに、ちっとも 目を向けていませんでした。

ただ、よその家や、自分の中にある理想と比べて、
「ちっとも、やってくれない。」
「愚痴ばっかり言っている。」
・・・と、マイナスな所にしか 目を向けていませんでした。

おそらく父や母だって、子供たちの思いを知らなかった訳じゃないと思います。 また、父や母なりの、理想や夢を持っていたことでしょう。
できることなら、家族旅行も、子供たちが望む進路も、叶えてやりたかったに違いありません。

だけど、「出来なかった」現実。

きっと、今の私と同じように、理想と現実のギャップに悩みながら、いけないことと思いつつ、抱えているストレスを、子供たちにぶつけてしまったのではないでしょうか。

そしてもしかしたら、今の私と同じように、後から、罪悪感や自責の念を感じていたのではないでしょうか。

 

その弱さ。苦労。
そして、それでも何とか家庭をまわし、養ってくれたことへの感謝・・・。

私の、「理想や周囲と比べて、物事を判断する。」 しかも、「マイナスな所にばかり目が行く。」という ”モノサシ“、 あるいは 偏った”メガネ“が、真実や感謝する部分を、見えなくさせていた んですね。

感謝すべきことは、こんなにもたくさんあったのに・・・。

頭では何となく分かっていた、育ててくれたことへの感謝。
それが、自分が家事や育児で苦労してみて、そして、野口さんの「許しのワーク」を知り、実行したことによって、ようやく、頭でなく”腹に落ちて“、実感することができたのでした。

母とのこと【3】につづく