おじいちゃんに見た「無私の愛」

2007年7月27日

最近、「自己愛」と「無私の愛」について考える。

自分を認め、受け入れ、自己肯定感を持つことは大切だと信じてきた。

でも、バッチフラワーの祖、バッチ博士は「自己愛」は病の元だと言う。
多分、彼の言う「自己愛」は、”自己中心” ”自分勝手” ”自分さえ良ければ”
というものを指しているのだろう。

私は、自分を認め、大切にすることを強調してきたけれど、
「自分勝手」や「自己中心」に転じる危険性もある。
その違い、バランス・・・。

先日、子供たちを連れて、実家に帰った。
おじいちゃんは、本当に、孫たちの面倒をよく見てくれる。
この日は、いとこを含めて、総勢5人の孫たちが来ていたけれど、
誰もが「おじいちゃん」「おじいちゃん」と、父を慕っていた。

いつも、孫たちを抱っこしてあげ、遊んでくれる。
この日も、プールや公園など、孫たちが喜ぶところに連れて行ってくれ、
息子にはクワガタ、他の子たちにはシャボン玉や花火など、
喜ぶものを買ってくれていた。
「いつも悪いから、買ってくれなくていいよ。」 私は言うのだけれど、
本当に、孫の喜ぶ顔が嬉しいらしい。

いつも笑顔で、元気があり余っている子供たちの攻撃を
やや年老いた身体なのに、受け止めている・・・。

孫たちが帰った後は、さぞかし疲れるだろうに。

まさに、「無私の愛」だなと思った。
おじいちゃんが求めている見返りは、多分、「孫が喜んでいる姿」、
ただそれを見ることだけ。

おじいちゃんを見ていて、つくづく普段の自分を反省した。

私は、自分の忙しいとか大変とか、自分の都合しか考えていない。
おじいちゃんは純粋に、孫たちが喜ぶことを考え、孫たちが一番喜ぶ、
「遊んであげる」「構ってあげる」という愛を与えているのに。

そういえば、ちびまる子ちゃんに出てくる、おじいちゃん。
あれも、理想的な「丸ごと受け止めてくれる」おじいちゃんだと思う。
どんな時でも無条件に、孫を受け止め、心を満たしてくれる存在・・・。

丸ごと認めてもらうと、やっぱり優しくなれる」 という記事でも書いたけれど、
子供だろうが大人だろうが、人を癒し、情緒を安定させてくれるものって、
そういうものだよね。 

私は、子育てママに・・・とか 言っているくせに、
れっきとした、2児のママでもあるのに、
そんな、「無私の愛」を与えることが、できているだろうか。

忙しさを理由に、ただの「自己愛」に陥ってないか。

愛って、なんだろう。

でも、全ての結論は、やっぱり「愛」に行き着くんだと思う。

仕事の成功も、環境問題も、子育て支援はもちろん・・・。

 

おじいちゃんは、言葉ではなく態度で、まざまざと私に、
「無私の愛」「与える愛」を教えてくれた。

おじいちゃんに見た「無私の愛」” に対して1件のコメントがあります。

  1. マダムレイコ46 より:

    愛とI。中学生だった時に、英語のIが私であることと、日本語の愛が同じに思えたこと・・・思い出しました。

    おじいちゃんがお孫さんたちに与える愛。無私の愛。本当にすばらしいですよね。

    親はといえば、日々の雑事に追われ、でも、そうやっていても、子どもと向き合い、自分のエゴにもひきずられつつ、やっぱり子どもを愛しているんだと思います。このバランス、いつも考えていないと大変なことになりますよね。(笑)

    愛・・・それを一番大切に思う心。自分も大切。子どもも大切。だからこそ、やさしくなれるよう、私も、ガンバリマス。ステキなお話をありがとう!ございます。

  2. 管理人バランス より:

    >親はといえば、日々の雑事に追われ、でも、そうやっていても、子どもと向き合い、自分のエゴにもひきずられつつ、やっぱり子どもを愛しているんだと思います。このバランス、いつも考えていないと大変なことになりますよね。(笑)

    うんうん、おっしゃって下さったこと、すごく良く分かる気がします。ホント、バランスですよね・・・。

    自分も含め、全てのものに「愛」をベースに取り組むことができれば、きっと大きな間違いはないんだと思います。

    でも、「言うは易し行うは難し」。
    ああ~ 日々、勉強ですわ~。(笑)

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