八百万(やおよろず)信仰
昨日の、占いをとるかコーチングをとるかにも書いたけど、
八百万(やおよろず)信仰に至った。
記事の最初にも、大きな気付きだと書いたんだけれど、本当に、
私にとっては大きな気付きなの。
私は、実はけっこう、完璧主義なんだよね。
きっちり、カッチリ、形を整えて始めたい。つまんない形で妥協したくない。
やるからには、理想的な所まで、目指したい。
そう思ってしまう。
そしてついつい、ちゃんとした「形」や「理想」は、コレだ!と縛られてしまいがち。
尊敬できる人や、納得できる考え方、形を知ってしまうと、
それが全てじゃないと思いつつ、やっぱり、
全てになりがち(^^;)だったりする。
そもそも私は、
ずっと、答えを見つけていた。
自分にとって、「理想的な生き方」とは。
それの「指針となるような考え方」は。
一般的な、どこかの宗教にはまってしまえば、そのまま、そちらの道に
進んでしまって、ある意味ラクだったかも知れない。
だけど、それぞれの宗教に、良さや納得行かない部分があったり。
それぞれの書物や教えにも、同様だったり。
一体どこに、私の求める答えはあるんだろう。
答えがほしい。
指針がほしい。
・・・いつも、そう思っていた。
だけど、そういう私の考え方を、
八百万信仰は、一気にくつがえしてしまった。
あっちにもいい所がある。こっちにも、納得する部分がある。
だから、あちらもこちらも、信仰していい。そちら側の信仰も、
否定しなくていい。
・・・こんな柔軟な考え方って、他にないと思わない?
キリスト教やイスラム教を否定するわけではないけど、この神しか認めない、
偶像崇拝さえいけない、と言うのは、どうも、窮屈だと思うのよ。
現にああやって、その信仰をもとに、世界中でいさかいが起きているじゃないか。
キリスト教じゃないけど、クリスマスを祝う。
家には、仏壇がある。
仏壇の中には、虚空菩薩がいる。(←うちの場合。)
彼岸には、墓参りに行く。
正月には、神社に初詣に行く。
そして、江原さんが提唱する、スピリチュアルな考え方も受け入れる。
いいじゃん、それで。
それぞれの中に、納得や真実や神を見つけられるなら、それでいいんだよ。
節操ないんじゃなくて、柔軟なんだと思う。
真実なんて、シンプルだけど、ひとつじゃない。
だから。
やっぱり、八百万信仰は、素晴らしい。
世界を救う可能性さえ、あると思う。
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