最近の、ひよっこ(朝ドラ)と、斉藤由貴さんの不倫騒動に対する、”ヤフコメ”(ヤフーニュース記事につく一般コメント)を見ていると思います。

 

「許容力」と「区別力」のない人が多いなぁ、と。

 

別にいいじゃん。

ドラマなんだし。他人事なんだし。

 

ちなみに私、「ひよっこ」「斉藤由貴」「ヤフコメ」も、結構好きで、よく見ています。

朝ドラは、ここ5~6年は欠かさず見ているんですが、特に今期の「ひよっこ」は好きですね。茨城が舞台(一部だけど)になっていることもありますしね。(笑)

連続テレビ小説「ひよっこ」 オリジナル・サウンドトラック
連続テレビ小説「ひよっこ」 オリジナル・サウンドトラック

 

斉藤由貴は、実はですけど、思春期の頃はファンクラブ(「斉藤由貴友の会」という名前だった)に入っているほどの、筋金入りファンでした。「でした」というと過去形ですが、今でも、思春期ほどの熱はないけれど、テレビやネットで由貴さんを見かけたら、とりあえずチェックはする感じ。それなりに気に掛けている、という感じです。

何もかも変わるとしても
何もかも変わるとしても

ヤフコメは、なんて言うんでしょう・・・。

自分の気になるトピック(ニュースとか見ているドラマとか漫画とか)に対して、世間の人がどんな感想や反応をしているのか、チェックするのが意外と好きなんですよ。カウンセラーをやっているせいもあって(?)、人の気持ちや考えを聴くのが、単純に好き、面白いんです。

ちなみに昔は、自分の感じ方や考え方にあまり自信が持てなくて、世間や周りの意見を「確認」することで、「だいたい同じ」であることに、安心感を覚えていた部分もあると思います。

今では、そういう要素もなくはないでしょうが、自分の感じ方・考え方が他者と違っても、それはそれでいいんだ。アリなんだ。・・・と、両者を区別して尊重できるようになりました。そのため、自分と異なる意見に接しても、比較的客観的に捉えているというか、ちゃんと、参考意見として距離を取れている、と思っています。

区別、距離感

ですが、それにしても・・・

最近のヤフコメを読んでいると、

皆さん、許容力や区別力が、なさ過ぎじゃありませんか?

ここにコメントを書いている人は、そういう人の割合が多いのでしょうか?

もちろん、冷静な意見や頷けるコメントもあるにはあるのですが、結局はドラマ、結局は他人事に対して、あまりにも感情的、主観的、あるいは単純すぎるコメントの割合が多くて、正直ビックリしてしまいます。

ETERNITY

斉藤由貴さんに関しては、不倫騒動が起きる前、まさに再ブレイクと騒がれていた頃ですね。
ファンだった私も違和感を覚えるくらい、ベタ褒めというか、好意的なコメントが多かったんですよ。「50歳にしてこの魅力!」「可愛い!」「auのCMも好き!」…てな感じで。

でも斉藤由貴さんって、今となっては皆さん分かっていらっしゃるでしょうが、そんなシンプルな評価が出来る方ではないんですよね。陰と陽の「陰」の部分というか、複雑な魅力や妖しさ?を、持っている方です。尾崎豊や川崎麻世との不倫騒動も、ファン時代にリアルタイムで追っていましたが、ファンとしてショックとか嫌いになったとかはなく、むしろ由貴さんらしいと、どこか納得してしまう部分もありました。
(もちろん、不倫は良くないことと思っているし、歓迎してはいませんよ!)

今回の不倫騒動も、確かに家族や関係者には迷惑を掛けたし、いけない事だし、反省すべき事だとは思います。

ですが、この報道が起きて以来、まるで手の平を返したように、ヤフコメやその他掲示板では、非難・中傷・攻撃の嵐で、ちょっと行き過ぎではと感じます。全然関係ないはずの第三者や世間が、まるで鬼の首でも取ったかのように、エラソーに、上から目線で、彼女を糾弾している様子は、ゲンナリというか辟易します別に、あなたに迷惑かけた訳じゃないでしょ。これは、斉藤さんたち当事者の問題でしょと。

こういう現象、最近多いですよね。

明らかに非がある(と思える)人に、普段のストレスを八つ当たりするがごとく、執拗に文句をまくし立てる姿。ちょっとしたミスや問題を起こした、行政・企業・店員さんや学校の先生に、過剰なほどにクレームや非難をぶつける。正論をまくし立てる。あの姿ですよ。

こういうことをしてしまう人は、普段は 弱者の側(非正規雇用や病気などで不安定な立場)だったり、自分に自信がなかったり、仕事や家庭で満たされていなかったり、という人が多いという分析もあるようですが、確かにそうなんだろうなと思います。普段、自分に余裕がないから、自信がないから、「自分の主張が 誰から見ても間違ってなくて正しくて、優位に立てる!」というシチュエーションになった時、妙に興奮して、エネルギーが湧いてしまうのかも知れません。

あ、つい、「斉藤由貴さん」の内容だけに、筆が進んでしまった。。。

「ひよっこ」の方の説明を、まだしていませんでした。

連続テレビ小説「ひよっこ」 オリジナル・サウンドトラック

 

「ひよっこ」に対する反応は、いまだに好意的なものが多いんですよ。実際、視聴率も良いし、私も気に入って、毎朝欠かさず見ています。

でも、好意的なコメントであるにも関わらず、私がちょっと引っ掛かるのは、以下のようなコメント。

 

「ひよっこには、いい人しか出ないから、安心して見れる。」

「ひよっこには、悪い人、イヤな人が出てこないから、いい。」

 

しかも、このような意見、結構何度も出てきてるんです。

・・・何ですか、それ。

ただのドラマなのに、ドラマにさえ、悪い人・イヤな人が出て来ると、いやんなっちゃうんですか? 安心して見れない=不安や不快になってダメ、耐えられないということですか?

それって、あまりにも「許容力」なさ過ぎじゃないですか。

ドラマだって、職場だって、ご近所さんだって、イヤな人・合わない人なんて、フツーにいますよ。
イヤなことも、避けたいこともある。

だけど、そういうのが いろいろ混ざっているのが現実だし、世の中じゃないですか。
私なんて逆に、「ひよっこ」は好きだけど、あまりにいい人・協力的な人(お節介な人)たちばっかり出てくるので、そういう所は「リアリティを感じない」と、少しクールに見ていますよ。

なんだろう。

世の中が便利になって、自分の好みや心地良い形を結構選べる時代になってきて、逆に、

「不便」とか「不快」とか「自分と合わないもの」に対しての、耐性や許容力が落ちてきているのかな・・・。

全てのことを、自分が気に入るように、心地良いようになんて、できる訳がないのに。

区別、距離感

ちなみに、誤解のないように強調したいのですが、

イヤだ、合わない、好きじゃない、と

「感じる」こと自体は、全く否定しないし、問題ないと思うんです。
自分の好みや快・不快をちゃんと感じられるっていうことは、むしろ望ましい、大事なことだと思います。

だけど、その「イヤで合わなくて好きじゃないもの」が、「そこに存在する」ことまで 耐えられない。排除したい。許容できない。…となるのは、さすがに問題だろうと思うわけです。そこまで、コントロールしようとすることは。

これは例えば、斉藤由貴さんをドラマやCMに出すなと、わざわざ企業にクレームを入れたり、声高に叫んだりするような、そんなことです。

そして、私が思うのは、

そうやって、

「他者に対する許容力」が小さいということは、

「自分自身に対する許容力」も、同様に小さいだろう

ということです。

例えば、自分の中に存在する、「弱い部分」「カッコ悪い部分」「好きじゃないところ」「完璧じゃないところ」・・・などに対しても、許容できずに嫌っている、認めないでいる可能性が高いですよね。

それって、かなり 生きづらい ことだろうと思います。

たとえ、自分の弱い部分・至らない部分を改善させたり、向上させたりを目指すのだとしても、いったんは その存在を認め、受け容れること。許容すること。・・・は、とても大切なことです。(このあたりは、カウンセリングでよくお話することです。)

 

長くなりましたが、いろいろな意味で「生きやすく」なるために、

「区別力」や「許容力」は、とても大事だと思います。

最近の斉藤由貴騒動については、かなり思うことがあったので 書いてしまいました。