「月の稼ぎは、200万以上。」

「8月末の10日間で、4800万 稼ぎました。」

 

これ全部、実話。

私が2006年9月2日に受けてきた、とあるセミナーでの話。

彼らが稼いだ商材は、携帯アフィリエイトやe-bookだ。

 

彼らみたいな人を、インフォプレナーと言うらしい。 ?ブログやメルマガ、そこでのアフィリエイト、e-bookなどで、自分のノウハウやアイデアといった「情報」を販売する人のことを指す。

 

20代から30代、私より若い男性講師や女性講師が、さらっと、何百万、1000万という成果を口に出していた。 そして、ネットを使った稼ぎ方、稼ぐための流れの見方、などについて、100人集まった受講生たちに、話をする。

 

私は、このセミナーに正直、胡散臭いと思いつつ参加したんだけれど、いろいろな意味で得るもの「も」あった。

正当なこともたくさん話していた。リアルビジネスで参考になることも、結構あった。それについては、十分生かさせてもらおうと思う。

 

けれど。

私の中に残った、ひとつの違和感。

 

儲けるのは、一向に構わない。

ラクして儲かる。うらやましい。あやかりたいとも思う。

 

だけれど。

 

その人たちの出発点って?

その情報や商品を売ることで、「世の中に提供していること」は、一体何?

 

・・・彼らが提供しているほとんどのモノは、「儲けネタ」 なんだよね。

 

自分はこうして、こんなにも、儲けを得た。

そのノウハウを、教えましょう。 そのためのツールを売りましょう。

 

売れてる商材や売れてるe-bookって、そんなのばっかり。

まあ、そういうのに飛びつく人が、世の中にいかに多いか、ってことなんだけど。

 

さて、昨日も紹介した、「国家の品格」を書いた藤原さんは、こう言っている。

 

論理には、出発点が必要だ と。

 

論理っていうのは、別の言い方をしたら、 「言っていることが正しいかどうか。」だと思うんだけれど、藤原さんは、こういう例を出している。

 

パン泥棒にどう向き合うか、という例だ。

 

ここに、一週間何も食べていない男がいる。その男が、町に出てパン屋さんの前を通った時、思わずパンを奪って、食べて逃げてしまった。 その男に対して、どういう態度をとるか、と。

 

1人の人は、「日本は法治国家である。」が出発点で、他人の物をだまって奪うのは悪いことで、これは窃盗罪にあたるから、この男を 追いかけて捕まえ、警察に通報すると。

 

そして別の人は、「ああ可哀想。」が出発点だと。 確かにこの男は、人の物を盗んだ。しかしこの男は、今このパンを食べないと、死んで しまったかも知れない。人間の命は、一片の法律よりも重い場合がある。だから今は、見て見ぬフリをして、通り過ぎよう。

 

…どちらも、論理は通っている。言っていることは間違っていない。 だけれど、出発点がどうであるかによって、結果は全く違うものになってしまうのだ。

 

藤原さんは言う。

最悪なのは、情緒に欠けて、論理的思考能力がばっちり、というタイプだ。 どんなに後の論理が正しくても、出発点が誤ってい ては、結論は、絶対的な誤りになる。

 

そして、 最初の出発点は、各人の、価値観・育った文化・宗教などから来る「情緒」が選ぶもの。

頭はよいのに 出発点Aを選ぶ情緒力が育っていない人というのが、非常に怖い。

でも現実には、そういう人が非常に多い、と。

 

 

話を戻すけど、

 

儲けるのは、一向に構わないんだ。
だけれど、出発点は何なのか、ということ。

「ラクして、たくさん 儲けたい。」 「ラクして、一緒にたくさん 儲けよう。」

出発点がそれ、というのは、どうなんだろう。

 

私も儲けたい。

 

でも私は、それ以上に、

育児中のお母さんたちが、ライフバランスを保って、豊かに生きられるような、

そんな お手伝いがしたい。 そんな情報を提供したい。

それはもちろん、自分自身も含めて。

そう思っている。

 

出発点が間違った上手い話は、多分絶対、続かないと思う。 本当の豊かさは、得られないと思う。

 

私は、真の豊かさが得られる ビジネスを展開したい。